シンヤのプロフィール

sinuwa
ikari

 

6month

 

当ブログに来て頂きありがとうございます。

初めまして、シンヤです。

「彼女に刺されかけたってお前なにしでかしたんだ?」
と思われていると思うので、 
ちゃんと自己紹介をさせてもらいます。

僕は帝京大学を卒業した34歳です。
大学を卒業したにも関わらず、
就職歴はありません(笑

僕が大学に入った理由は、
将来の仕事に有利だとかそういうのではなく、
東京に住みたいというミーハー的思考からです。

なにせ高校まで長がつくほどのド田舎に住んでいた為、
都会に憧れていました。
そして、大学を卒業した今も変わることなく、
東京に住んでいます。

今の僕の生活サイクルは好きな時間に起きて、好きな時間に寝て
好きな時間に仕事をし、好きな時に好きなだけ遊ぶ、
このように何にも縛られない生活をしています。

と、少し強がってみました。
正直彼女には少し縛られています 笑

ま、これは仕方がないと半ば諦めています。
理由は後に説明します。

自由な時間に起きるとは言っても
基本的に朝起きることが多いです。

数年前から日課になっている、
家の近くの川に住んでいるカモ達に
朝ごはん(パンくず)をあげるためです。

かも

こいつらホントかわいいんですよ。
朝一番に癒してくれます。

彼女にも少しは見習ってほしい(笑)
とまあ、生活スタイルだけを見ると
二―トみたいですよね(笑)

でも月収は100万円以上あるから
これが驚きなんですよね。
(みんな驚きます)

これを聞くと、
「なんか悪い事してんだろ?」
「あ、分かった。彼女が働いてんだろ?」
と思うかもしれません。

決してそんなことはしていません。

自宅でインターネットに繋いである、
PCを使って稼いでいます。

僕がちょうど高校生くらいの頃から急激にネットが発達したおかげで
ネット環境のあるパソコン1台さえあれば
世界中どこにいても仕事ができるようになりました。

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この特性を活かした仕事をすることによって
年齢に関係なく、僕みたいに30代という若さでも
高収入を得る事ができているわけです。
(20代の時に稼げるようになりました)

それによって僕はこれまで一度も就職することなく
嫌な上司やウマの合わない同僚達、、
やりたくもない仕事を生活の為に我慢して
毎朝、嫌々ベッドから出て
満員電車に揺られて会社へ向かう、といった
ストレスだらけの生活を送らずに済んでいるのです。

これは特別、僕の頭脳が優秀だったからできたのではありません。
(優秀だったらもっと偏差値の高い大学に入ってるわ(笑))

目が見えて、文字がちゃんと読めて、
メールの送受信が問題なく出来る人。
そして、稼げるようになるまでは、
しっかりと毎日継続して
作業が出来る人なら誰でも出来ます。
(もちろん誰でもが100万稼げるとか
そういった話ではありません。
そういう事言ってる怪しいお方をよく見かけますが、
絶対それはないだろって思いません?(笑))

僕は、帝京大学に入ってから、
ごくごく普通の学生生活を送っていました。
バイトして帰って、寝て、学校へ行き、
サークル仲間と食堂でダラダラだべる。
だべってるうちに、めんどくさくなって授業をサボる。

そして友達と
「今日バイト休み?飲みにでも行くか」
みたいなやりとりの後、居酒屋に流れる。
飲みの場では決まって女の話。

「今度、合コンしよーぜ」と計画を立て、
その合コン日を基準に着てく服を買ったり
美容室で髪の毛を染めたりと心がうきうき。             

こういったのが、大学生のキャンパスライフですよね。
(特に文系)
僕も、このような、いたって普通の大学生活を送っていました。

ド田舎から憧れの東京に出て、華の一人暮らし。
ワクワクドキドキと胸を膨らませて、
「都会の遊びを覚えるぞ~~」って燃えてました。

ある意味、野心を持ってた(笑)

上京した人は分かると思うのですが、
意外に都会に出て刺激を感じるのは
はじめの数カ月だけなんですよね。

3か月もすりゃ飽きてしまうんです。
刺激もなくなり、「バイトでもすっかなぁ~~」
と僕の場合、こんな感じで面接を受けに行きました。

 

悲劇のはじまり

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選んだ先は、「パチンコ店」
16時~24時
自給8000円、弁当1食付き、
休憩(合計)1時間

仕事自体はそんなに大変ではなく、
給料も悪くなく、気の合う先輩もいたし、

同じ大学のかわいい子もいて
職場のコンディションはそれなりによかったです。

居心地がよかったのもあり、シフト週5、
多い時で週6入れてました。
給料も20万円以上もらっていて
大学生にしては高給取り。

「いつ学校行ってんだ?」
って話ですよね(笑)

これが日本の大学の悪い部分でもあって、
単位なんてテスト前に学校にちょこっと行き、
友達にノートをコピーさせてもらって、
それを暗記すれば取れちゃうんです。

うちの大学はノート持ち込み可っていう
科目も多々あったほどですから、
もうそれはそれは遊びたい人にとっては
なんと環境のいい大学なのか…(笑)

そんなこんなで単位は問題なく取れたのです。

だから名ばかりの大学生であって
中身はフリーターでした。しかも超堕落的な。

こんな生活をしてると寄ってくるのもまあ堕落人間…

ある日、バイト先の先輩から誘いを受けました。

先輩「打ちに行かない?」
シンヤ「パチやったことないんですよねぇ」
先輩「増やしとけ(笑)」
シンヤ「勝てるんすか?」
先輩「オレと一緒なら絶対勝てる、引きの強さは多摩1だから(笑)」
シンヤ「マジッすか、やった事ないんで教えて下さい」

パチ屋で働いていたものの、パチンコとスロットは
やった経験がなかったし、「ギャンブルには手を出すな」と
小さいころから父親から強く言われてたこともあり、
そこまで乗り気ではありませんでした。

まあ付き合いで「一回行っとくか」程度でしたね。
これが「大きな間違いだった」と気付いた時は
もう既に遅かったんです…

先輩とパチ屋に着いてまず選んだ台は「CR海物語」
3千円のパッキーカードを買って
それを台の横にある差し込み口へ入れると
球がじゃらじゃらじゃら~~と台皿に出てきました。

ビギナーズラックってあるんですねぇ。

打ち始めて10分くらいしたら、
綺麗な魚群が画面中に流れて「リーチ」
333と揃い、液晶の中のかわいい女の子マリンちゃんキャラクタが
水着で大喜びしながら「ラッキー♪」と声をあげる。

僕は大当たりを出しちゃった訳です。
その日は9箱ものドル箱を積んで7万円くらい勝ちました。

「オレ、もってるな、っしゃぁ」

ビギナーズラックにも関わらず調子に乗っていました。
大当たりを出した時のアドレナリンってすごいもので
その時の感覚って中々忘れられないものです。

それをきっかけにパチンコにハマりました。
更に運が悪かったのは、その後しばらく勝ててしまったこと。

5千円使って出なかった日がないくらいついていました。
「150回転して出てない台は5千円使って出ない事はない、
運が悪くて単発、良かったら確率変動だ」

このような自分に都合のいい法則を作っていました。
 

もうこの時の僕はというと、パチプロ気どりもいいとこ。

学校の同級生に大盤振る舞いをしたり、
高い洋服を買って着飾ってみたり、
タクシー通学をしてみたりと…

1ケ月にパチンコで50万以上儲けていたので、
感覚が麻痺してしまって、身の丈に合わない生活を
していたのです。

正にバブル期のサラリーマンみたいな…

でも、ビギナーズラックがそう長く続く訳はありません。
徐々に負けてきます。

「あれ、たまたまだろ。
この店は遠隔操作して出すの止めたな」
と負けの理由までも自分の都合のいいように解釈して、
いろいろなお店にお金をつぎ込みました。

しかし勝てない…

この時期、調子が悪い事を飲みの席で
この世界を教えてくれた先輩に嘆いたら
「今時はスロットだよ、パチなんておっさんかよ」

と笑われ、自分の中で
悪い流れを変えるきっかけが欲しいのもあって、

「そうだな、時代はスロットだ」
と最悪なノリでスロットに挑戦することになりました。

 

100万円負けたスロット

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それから1週間後の日曜日の朝8時、
渋谷のマルハンの前に並びました。

缶コーヒーを片手に気合は十分。

友達と冗談を言いながら時間を潰して待っていたのを
今でも鮮明に覚えています。

で開店と同時にアラジンという機種まで猛ダッシュ。
(当時は激アツで有名なAT機)
そしてこれまたビギナーズラックなりー(汗)

1000円でアラジンチャンス(大当たり)
その日は5000枚出て約10万円勝ってしまいました。

またまた懲りずに調子にのってしまうのが
堕落的人間っていうものです。

歴史は繰り返す。(笑)
またしばらくしたら負け、
徐々にお金はなくなっていく。

しかし辞める気配はナシ。

「スロットは運が悪かっただけ。
時代の流れにはのってるから大丈夫。
AT機が出てるんだから勝負かけない方が男としてダメだろ」

典型的なダメ男の考え方をしてしまっていました。
 

そして、「勝ちゃ問題ない」という言葉が
僕の決め台詞になっていました。

負けに負け、甘い汁を吸った感覚を忘れられない僕は、
辞めることなど頭になく、

学生ローンに行き、20万円借りて、
更には丸井のキャッシングサービスでも
10万円を借り、当時付き合っていた彼女にも借りて、
それを軍資金にして半年間スロットにのめり込みました。

この時トータルで100万円以上の負け…
今考えても人生で一番すさんでいた時期だと思います。

ローンで借りたお金は毎月利子だけを払ってその場しのぎ。

まあ、バイトをしていたのと、彼女が近くに住んでたのもあり
なんとか生活はできていました。

バイト→スロット→飲み→学校に単位だけ取りに行く→彼女との時間
というサイクルをダラダラと過ごし、
あっという間に大学生活は終焉を迎えます。

朝が苦手な僕は就職活動などすることなく
卒業式の日が来ました。
(めんどくさいという理由から卒業式にさえ出席せず
卒業証書は友達に代わりに持ってきてもらいました)

 

事件

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そんなこんなで無事?卒業した僕ですが、
大学卒業と同時に彼女の家に引っ越しました。

この時はスロットは卒業していたのですが、
堕落的生活には拍車がかかり、
派遣会社(グッドウィル)へ登録だけして、
本当に気が向いたときだけバイトをして、
後は家でテレビを見たり漫画を読んだりして、
彼女が家に帰ってくるのを待っていました。
((ヒモみたいなものですよね。ってかヒモか(汗))

でも、どこかで抜け出さなければいけない
という思いもあってか、
自分の中でイライラが日々募っていきます。

そしてお世話になっている彼女に対して
八つ当たりをしてしまう時もありました。

これは今でも反省しています。

このような堕落的生活を数年物間、
続けてしまいました。

さすがの彼女も僕に対するストレスが
溜まりに溜まっていくのは当然です。

ある日、僕はいつものようにベッドの上から彼女に
「今日の晩飯なに?」と聞いた瞬間、
彼女の眼が真っ赤に充血し、右手には包丁を、
僕と目があった瞬間に怒り狂り怒鳴りあげました。

sinuwa
ikari

 

はじめての出来事でかなり動揺したのを覚えてます。
でも、どう考えても彼女がキレるのは当たり前で
むしろキレない方がおかしい状況だったんですよね。

普通だったら、とっくに捨てられてるはずです。

この事件を機に僕自身、真剣に自分の人生を考えるようになり
まずはバイト(ティッシュ配り)を定期的に入れるようにしました。

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インターネットビジネスで月収100万!

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2006年、雑誌などの媒体でインターネットを使って、
サラリーマンや主婦でも自分の趣味を活かして
それをお金に変えるプチ起業がホリエモンなどの
若手IT社長が世間で注目されたこともあり、
話題となっていました。

とても興味があったので、
バイトが休みの日など、空き時間を利用して
「プチ起業、週末起業」とネットで検索し、
ひたすら調べているうちに、
「ネットビジネス」という存在を知りました。

その当時、インターネットに繋がったパソコンを使って
月に何百万円もの収入を得ている人が
大量に、しかも10代や20代の自分と
同年代も普通にうじゃうじゃいたのです。

「大手メディアにも搭載されてるし、
テレビでも特集が組まれてるから
信用性は高いよな。よしオレもやってみようかな。」

とはいえ、彼女に迷惑はかけられないため、
さすがの僕も慎重に考えました。

その後もいろいろと調べてるうちに
儲かるビジネスの4原則である

・利益率が高い
・初期費用があまりかからない
・定期収入がある
・在庫を抱えない

この3つの要素を満たしている事が分かり、
それが決め手となって、
ネットビジネスに参入することを決意しました。

いろいろと細かく調べて行くと、
ネットビジネスでもいろいろな種類があって

インフォプレナー、オークション、アフィリエイトなど
いろいろな稼ぎ方があることが分かりました。

まだ何がいいのかよく分からなかったので、
とりあえずオークションをやってみたました。

その方法は外国のebayというオークションサービスから
日本でニーズがあるものを安く仕入れて
ヤフーオークションで高く売るというものでした。

しかし、在庫を抱えること、初期費用がかかること
そして何より発送作業などの手間がかかることなどイマイチ。

確かにすぐに数万円程度の利益は出ましたけど
やってて面白くない。

で、次にアフィリエイトをやってみます。

すると…
「うぉぉぉぉ、もうこんなにメールが来てる
自分が発信した情報ってこんなにも多くの人が見てくれるのか」

もう感想はというと、とにかく楽しかったです。

どういった情報を調べて流せば
人は興味を持ち、喜んでくれるのか、等等、
細かく戦略を立てて情報を発信し、それに対し、
人の反応で返ってくるのが楽しくてしかたなかった。

そして、アフィリエイトで食っていこうと頑張った結果、
1ヶ月後に月収7万 3ヵ月後に月収30万、
半年後には月収100万達成と伸びていき、
現在でも安定して月に100万円以上の収入を得ています。

ネットビジネスを始めて6か月で月収100万円を稼ぐまで
成長し、そして人生を変えることができました。

 

やっぱり奴隷は嫌だ

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そもそも僕がパチンコやスロットにハマった原因は
お金を稼ぎたかったから。

シンプルに自由が欲しかったからなんですね。
自分が好きな事をしてストレスなく楽しく生きるには
自由な状態でなくては不可能です。

自由を得るにはお金が必要。

食べる、住む、、病気になったら治す、
人間が生きて行く上で必要なことって必ずお金がかかります。

これらがタダで保障されてるなら
お金がなくても自由に好きなことをして
生きられると思います。

しかし実際、そういうわけにはいかないのです、
絶対にお金が必要です。
大事な人を守っていくのもそう。
僕は彼女を一生守っていくつもりです。

ここまで僕についてきてくれた事を心から感謝してます。

普通だったらとっくに別れられていたはずです。
こんなに人から思われた経験もはじめてです。
人間の温かさを教えてくれたのも彼女です。

それなりに多くの女性と付き合ってはきましたが、
ここまで自分の喜怒哀楽をすべて出せて、
安心でき、心から大切と思えた人は
彼女以外にいません。

もしお金を稼げなかったら、
この大切な女性一人すら守っていくことも無理です。

だから僕はこれからもお金を稼ぎ続けます。
ただお金の奴隷にならないように気をつけたいと日々思ってます。
お金を稼ぐ事が目的となっては本末転倒。

どれくらいのお金があればいいのか?という計算をして
そのお金はなんの為に必要なのか?

僕の場合でしたら、自分と彼女を守って、
なお且つ、自分の親、
兄弟、相手の親達、などなどに
何かが合った時に解決できる程度の金額。

そして僕自身が自由に楽しく生活できる金額。
そのためには、いくら必要か。

人生は1度しかありません。

60歳まで朝から晩まで会社に拘束されて
給料をもらう生活は僕には絶対できません。
(これはお金の奴隷にしか思えないです)

あなたが今の生活で十分にお金もあって
不安もストレスもなく満足をしていれば
仮に会社勤めで時間的拘束を
受けていたとしてもいいのですが、

そうでない場合、
あなたの生活を変える選択肢の一つとして
僕が今やっているネットビジネスがあるということを
頭に入れておいて欲しいのです。

この世界は性別、学歴、年齢など関係なく
みんなが稼げる可能性のあるのが大きな魅力の一つです。

人間関係のストレス、
リストラされることへの不安など感じることなく
毎日好きな事をして自由に生活できてしまうんです。

僕は帝京大学という有名大学(名前だけは 笑)を出ました。
その時の同級生はみんな就職という道を選んだわけですが
僕は「独立」という道を選択しました。

でも、自由を手に入れたのは
大多数派である皆ではなく少数派である僕の方でした。

もう昔と違って終身雇用、
年功序列時代は終焉を迎えています。

企業におんぶに抱っこでは自由はもちろんのこと、
保証も今後どんどんなくなっていくことから、
非常に危険だと僕は思っています。

小さい飛行機でも自分で操縦した方が
大きい飛行機にお客として乗るより安全だと僕は思います。

そして何より楽しい。

もし今あなたが会社に勤めていて楽しくないと感じていたり
就職活動をしていて何か違和感を感じているなら
自分で稼ぐ方法の一つとして
「ネットビジネス」を考えてみるのもいいと思います。

人生は一度きりです。

後悔しないよう楽しい人生を送って欲しいと思います。
ぜひ僕のメルマガを読んでみてください。
あなたを楽しませる自信があります。

そして何より、稼がせる自信があります。

僕がインターネットを使って
月に100万円以上を達成した方法は全て、
こちらのメール講座で説明してあります。

是非一度、見て下さい。
彼女が僕にブチぎれた音声も公開してます(笑)


成果が出たらぜひ報告してきてください。
あなたが稼げる様になる日を楽しみにしてます。

そして、僕と同じように自由な生活環境を手に入れたら
同じ仲間として楽しく飲みにでもいきましょう♪

ではでは、長くなりましたが
自己紹介を終わりたいと思います。
最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。

 

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